女性としての馬場はる ― 家を守り、未来を育てた生涯
馬場はる(1870-1962)。その名前は富山の教育と文化を語る上で欠かせない存在です。彼女は豪商・馬場家に嫁ぎ、夫を早くに亡くしながらも家を守り、そして地域社会に大きな貢献を残しました。
しかし「資産家の寄付者」という一言では語り尽くせません。女性として、母として、妻として、そして家長として――当時の社会的制約を越えた彼女の生涯は、今を生きる私たちに多くの問いを投げかけてくれます。
少女時代に見せた強さ ― 13歳の火事
はるの強さは少女時代から垣間見えます。13歳のとき、泊町で大火事が起きました。大人たちが右往左往する中、彼女は一歩も引かず、家の奥へ駆け込み、帳簿や大切な品々を抱えて飛び出しました。
「まだ子どもなのに、よくあんな勇気を出せたものだ」と周囲は驚きました。母親から見ても、わが子の姿は誇らしく、同時に胸が締め付けられるようだったでしょう。ここに、後の「家を守る女・社会を支える女」となる萌芽がありました。
15歳の嫁入り ― 北前船の豪商の妻として
15歳のはるは、北前船の交易で栄えた豪商・馬場家に嫁ぎます。岩瀬の大きな屋敷に入るその小さな背中に、母は「この子は本当に大丈夫だろうか」と心配したと伝えられます。
しかし、はるは泣き言を口にせず、妻として家を支えました。夫と共に家を守り、地域での務めを果たす姿は「良妻賢母」の典型に見えました。ところが、この安定は長く続きませんでした。
33歳の決断 ― 家を背負う女性
夫が病で急逝したのは、はるが33歳のときです。幼い子どもを抱え、家督を継ぐことを余儀なくされました。
明治から大正にかけての時代、女性が一家を背負うことは異例でした。親族からも「女にできるのか」と疑問の声が上がったといいます。
しかし、はるは毅然と答えました。「私が守らねばなりません」。
母として子どもを守る覚悟と、妻として託された責務が彼女を動かしていたのです。
女性と教育 ― 富山に高等学校を
当時、富山県には高等学校がなく、子どもたちが学問を志すには県外に出るしかありませんでした。経済的にも、親としての心配の面でも、大きな負担がのしかかっていました。
はるは、自らの子どもだけでなく、富山のすべての子どもたちに「地元で学べる環境を」と願いました。1923年、旧制富山高校の設立に際し、彼女は150万円という巨額を寄付します。現在の価値に換算すると10億円を超える規模です。
「富山の子らをわが子と思って」――その母性の広がりが、地域全体の教育環境を変える大きな力となりました。
文化を守る女性 ― 小泉八雲とヘルン文庫
はるの活動は教育だけにとどまりません。関東大震災によって多くの蔵書が失われたとき、彼女は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の貴重な蔵書を守り、富山高校に寄贈しました。これが「ヘルン文庫」です。
知の火を絶やさず、次の世代へつなぐ――それは「母が子へ託す」心と同じものでした。女性として文化を守り抜いたはるの選択は、今も富山大学に残る蔵書の姿となって生き続けています。
馬場はる 年表
- 1870年 … 富山県泊町に誕生
- 1883年(13歳) … 泊町の大火で家財を守る勇敢な行動を見せる
- 1885年(15歳) … 北前船の豪商・馬場家に嫁ぐ
- 1903年(33歳) … 夫が病で急逝、女家長として馬場家を継ぐ
- 1923年 … 旧制富山高等学校設立に150万円を寄付
- 1923年 … 小泉八雲の蔵書「ヘルン文庫」を富山高校に寄贈
- 1961年 … 富山市名誉市民に選ばれる(女性として初)
- 1962年 … 逝去(享年92)、教育と文化に尽くした生涯を閉じる
人物相関図(簡易版)
- 馬場はる … 富山教育・文化の支援者、馬場家女家長
- 夫:馬場家当主(早世) … 北前船の豪商
- 子どもたち … 富山の教育支援を決断する原動力
- 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) … 蔵書を「ヘルン文庫」として寄贈
- 南日恒太郎 … 富山高校設立に尽力した教育者(はるの寄付を支えた)
女性初の名誉市民 ― 日本婦人の鏡
1961年、富山市は馬場はるを女性として初めて名誉市民に選びました。「日本婦人の鏡」と称されたのは、教育と文化への寄付だけではなく、母・妻・家長として社会を支えた姿があったからです。
彼女は表に出て自分を誇示することはありませんでした。ただ「子どもたちの未来を」と願い続け、その一念で行動しました。ここに、当時の女性が果たし得た最高のリーダーシップの形を見ることができます。
時代を越えるメッセージ
現代では女性の社会進出は当たり前となりつつあります。しかし、100年前に富山でその先駆けを歩んだ女性がいたことを忘れてはなりません。
馬場はるの生涯は、次のように語りかけてくるようです。
「母としての愛も、社会に尽くす勇気も、女性はその両方を担えるのだ」と。
家庭と社会の両方に橋を架けた女性としての姿は、今を生きる私たちに新しい指針を与えてくれるでしょう。
まとめ ― 女性としての強さと優しさ
馬場はるは、時代の制約を越えて、女性としての生き方を広げた人でした。母としてわが子を守り、妻として夫を支え、家長として家を守り、教育と文化を未来へ託した。
そのすべては「女性だから」できないのではなく、「女性だからこそ」できたことなのです。
彼女の生涯は、現代の私たちに問いかけます――あなたは未来に、どんな愛と勇気を残しますか?